大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

浦和地方裁判所 昭和33年(わ)497号 判決

被告人 アンソニー・ダブリユー・ブロカート

一九三七・三・七生 米国軍人

主文

被告人を懲役二年に処する。

訴訟費用は、証人斉藤義雄に対し昭和三四年二月三日支給分を除き、全部被告人の負担とする。

理由

(本件発生に至るまでの経緯)

被告人は、アメリカ合衆国軍隊構成員であるところ、昭和三二年九月朝鮮勤務から群馬県下の米軍基地憲兵隊に配属され、同年一二月頃偶然の機会から田中末子(当二三年)を知り、親しく交際するようになつた。そして、被告人が昭和三三年二月四日所沢基地に転属になつたので、田中も同年三月中頃被告人の後を追つて所沢市に来り、同市内で同棲生活を始めた。ところが、被告人が薄給であることなどから経済的に行詰り、田中の方から別れ話しを持ち出したので、被告人も嫌々ながらこれに同意し、田中は同年八月下旬頃実家に帰るという名目で被告人の許を去つた。その後、被告人が田中の実家に照会してみたところ、帰つていないという返事であつたので、被告人は田中の行方を探し求め、同年九月中頃東京都下西多摩郡福生町のあるバーに勤めていることが分つたので、そのバーで田中に会い、「戻つてくれなければ、薬を飲んで死ぬだけだ。」などと言い、半ば強制的に田中を連れ出し、再び所沢市内において同棲生活を始めた。しかし、これより先、田中は前記バーに働くうちに、米軍横田空軍基地所属の空軍一等兵ジヨージ・ピー・リーチと知り合い、親しい交際を始めており、所沢市に戻つてからもしばしばリーチと会つていた。被告人もこのことを知つており、嫉妬心を起して田中にリーチのことは忘れるようにと話していたが、リーチと会うことを強いて反対するようなことはなく、リーチも時々被告人、田中の下宿先を訪れていた。被告人は、昭和三三年一〇月二日リーチに電話して一〇月四日午前一〇時頃村山貯水池にピクニツクに出かけようと誘つたところ、同人が自分の友人、友人の女友達と共にこれに参加すると返事したので、被告人は、その当日その時刻に田中と共に村山貯水池の集合場所に出かけたが、リーチ等の姿が見えなかつたので、二人で同棲中の下宿先に帰り、それから被告人だけ当時の勤務先である在日米国陸軍兵站廠所沢兵站支廠へ出かけた。ところが、被告人の出た後、リーチが下宿先へ訪ねて来、田中は被告人に断わりもなくリーチと共に外出して了つた。同日午後帰宅した被告人は、田中の外出を知つたが、同女が仲々帰らないのでリーチが来て田中も共に出かけたものと考え始め、所沢市内の諸所方々を探し求めたが、見当らず、夕方になり帰宅はしたが、同女のことが気に懸り、読書をしても気持をまぎらすこともできず、田中の帰りを待ちながら苦しい一夜を過した。翌五日も殆ど下宿先にあつて田中のことばかり思い続け、懊悩の極自殺を図ることを考え始め、遂に同夜は殆ど眠ることができなかつた。翌六日朝、被告人は自殺する考えで数日前所沢兵站支廠応急診療所から貰つていた抗ヒスタミン剤P・B・Z一箱を持参して同兵站支廠内に行き、同日午前六時三〇分頃その一〇錠乃至一二錠を服用し、その後午前七時頃更に右応急診療所に行き、P・B・Z一箱を貰い受け、前と同じ場所でその一四錠乃至一六錠を服用した。それから、午前七時三〇分頃被告人の当時の職務の一つである、米人子弟登校用のスクールバスを運転して埼玉県入間郡武蔵町所在ジヨンソン空軍基地に行き、同基地内の診療所で又同じく抗ヒスタミン剤のC・T・M一〇錠位を貰い受け兵站支廠に帰りスナツクバーでこれを服用した。被告人は田中に一目会つてから死にたいと思い、午前八時頃リーチの許に電話して田中の居所を尋ねたが、リーチは回答を拒否した。そこで、被告人は横田基地へ行き、リーチを拳銃で脅してでも田中の居所をつきとめようという気になり、同日午前八時三〇分頃同支廠司令部中隊兵器室に入り、アメリカ合衆国所有コルト式口径・四五の拳銃一挺(昭和三四年押第一六号の四)及び実包各七発入りの弾倉二個(前同押号の三及び五は、このうち)を盗み出した。それから横田基地に行くべく同支廠の第一ゲートの方に向つて歩いて行つたが、第一ゲートには警備員が多数おり、又附近にいる兵隊に姿を見られる虞れもあつたので第二ゲートの方なら警備員も一人位だから悶着なしに出られると考え、第一ゲートから出るのを止め、第二ゲートの方に向つて行つた。

(罪となるべき事実)

第一、かくて、被告人は、同日午前九時五〇分頃同支廠内のポスト・エンジニア事務所前にさしかかつたが、第二ゲートに通ずる道路の左側空地に米国陸軍所有一九五七年式シボレー、セダン型乗用自動車一台(同支廠消防司令に配属されたもの)が駐車しており、同車運転手で、同支廠雇人の山崎義一(当三三年)がその運転席にいるのを認めたので、同人に頼んで横田基地までその自動車に乗せて行つて貰う考えから、その自動車の傍に寄り、同人に横田基地まで行くよう申し入れたが、同人から拒絶された。そこで、被告人は山崎を脅迫してでもその目的を遂げようと決意し、直ちに所携の前記挙銃を取り出し、同人の右肩から三、四〇糎離れたところに突きつけた。山崎は、被告人の言う通りにしないと殺されると思い、被告人の要求に従う気になり、自動車のスウイツチを入れ、エンジンを掛けようとしたが、被告人が助手席に坐ろうとして隙を見せたので、その一瞬の間に、被告人と反対側のドアを開けて自動車の外に飛び出し、わめきながら真直ぐに第二ゲートの方向に向つて走り、同支廠内の家族宿舎の方に逃げ込んだ。被告人は、これを見るや山崎を連れ戻し運転させるため直ぐ同人の後を追いかけた。山崎は約八〇米駈けた後、前記家族宿舎の側の芝生のところですべつて転び、そこへ被告人が近づいて来たのでこれ以上逃げると挙銃で射たれると思い、観念して「大丈夫、大丈夫。」と言いながら、被告人の傍に戻り被告人の先に立つて、前記自動車の方に戻り掛け、被告人はこれに従つた。ところが、自動車の一〇数米手前まで来たとき、山崎は再び被告人に一瞬の隙を見出したので、急いでポスト・エンジニア事務所の方に向つて駈け出した。そこで、被告人はすぐ山崎の後を追いかけ、右事務所の入口のドアの処で極力同人をひき戻そうとしたが、同人は室内の柱にしがみついて離れないので、この上は、自ら自動車を奪取、運転して同支廠外に出ようと考え、既に被告人の前記脅迫行為(挙銃を突きつけた行為)により反抗を抑圧されていた山崎の状態を利用し、前記自動車に戻り、自らこれを運転して第二ゲートから外に出、所沢市所在西武鉄道所沢駅前まで(この距離約一粁)行き、同所にこれを乗り捨て、以て山崎の管理する右自動車に対する強取を遂げ、

第二、その後、被告人は、前記所沢駅前において斉藤義雄(当三一年)の運転する小型タクシーに乗つて、同日午前一〇時三〇分頃横田基地内に到り、リーチを呼び出し、同人に対し田中の居所まで案内するよう申向け、同人を無理にタクシーに乗車させ、その直後、同人を脅迫してでも田中の居所に案内させる積りで、同人の面前で、さきに山崎を追い駈けるときに弾倉を挿入して置いた挙銃の遊底を後方に引き、その薬室内に実包を装填したが、安全装置は施さなかつた。リーチは被告人を田中のいる東京都下西多摩郡福生町の、かつて田中が働いていたバーに案内したので、被告人は、そのバーで田中を呼び出し、タクシーに乗車させ、所沢市に向け、タクシーを走らせ、途中リーチを下車させた。

その後は、同タクシーの後部座席の右側(斉藤運転手の直ぐ後方)に被告人が、左側に田中が腰掛け、被告人は、右手で前記のように実包の装填され、安全装置の施されてない挙銃を膝の上に握つた侭、同日午前一〇時五〇分頃所沢市大字久米一、〇八九番地先県道にさしかかつたが、かような場合、拳銃を所持する者としては、安全装置を施すは勿論、拳銃の取扱について慎重を期し、実弾発射による事故発生の危険を未然に防止すべき当然の義務があるにもかかわらず、被告人は、不注意にもこれを怠り、安全装置を施すこともなく、且つ田中との口論に気を奪われて、漫然引金の上に右手指をかけていたので、同女との口論に激した余り、同女の方に身体を向けた瞬間、誤まつて右手指に力が入つて引金を引くという重大な過失により、拳銃から実弾一発が発射されて前記斉藤義雄に命中し、因つて同人に対し全治三ヶ月間を要する左胸部貫通銃創を負わせ、

第三、法定の除外事由がないのにかかわらず、前記第一の、前同日午前九時五〇分頃から、前記第二の、同日午前一〇時五〇分頃までの間、前記第一の、ポスト・エンジニア事務所前から西武鉄道所沢駅前まで、前記第二の、同所から横田基地、同所から東京都下西多摩郡福生町、同所から所沢市大字久米一、〇八九番地先まで、継続して前記拳銃一挺を所持したもので、被告人は、右第一乃至第三の各犯行当時、それぞれ心神耗弱の状態にあつたものである。

(証拠の標目)(略)

(判示第一の強盗罪の成立する理由)

判示第一の事実にかかる起訴状の記載、これについての検察官の釈明並びに検察官の論告によると、検察側としては、被告人が山崎義一に対し所携の拳銃を示したときに、既に本件強盗罪の着手があつたものと主張している。その趣旨は、本件訴因全体を包括的に観察する限り、強盗罪の成立があることとなるから、その手段たる行為を開始したときが、法的には、その着手時期となるというにあるとも思われるが、具体的な事実関係としてみる限りにおいては、判示認定のように、その時には被告人は、山崎をして被告人のため本件自動車を運転させようとする意思を持つていたに過ぎないのである。そして、本件自動車を運転させるという以上、そのなかに、当然それを自己の用途に供せしめる、従つて客観的にはその所持を一部分自己に移すことが含まれるとしても、他方山崎も自分が自動車の運転をする限り、依然として本件自動車に対する所持、管理を継続しているわけであり、又被告人の主観においても、後記のような山崎の労務提供を求めることに主眼が置かれている以上、この段階において本来他人の所持の全面的排除、侵害を内容とする財物に対する盗罪の着手があつたものとすることは、無理である。それでは、刑法第二三六条第二項の罪の着手があつたかどうかというに、なるほど被告人としては山崎の被告人のためにする自動車の運転という労務の提供を得ようとしたのであるが、判示認定のような状況の下においては、かような労務の提供自体を同条項にいわゆる財産上不法の利益とみることは困難である。これを積極に解するには、その労務提供を財産的に評価できる特段の事情が加わらなければならないと考えられるが、そのような事情を認めるに足りる証拠はないのである。結局、この段階においては、弁護人側の主張するように、精々刑法第二二三条第一項の強要罪の着手があつたに過ぎないものと認めるのが相当である。しかしながら、弁護人側は更に進んで、被告人の右強要の犯意は山崎が被告人の要求を拒否しようとして、自動車から逃げ出し同支廠家族宿舎の方に駈け出したとき既に消滅し、それからの被告人は驚愕し畏怖した山崎をなだめるためにのみ同人の後を追つたものである。従つて、被告人の脅迫行為と本件自動車の奪取行為とを結びつけることはできず、而も後者は、犯情の軽い、使用窃盗的な盗罪を構成するに過ぎないと主張しているので、この点につき証拠を検討してみると、なる程被告人は当公判廷において「山崎が自動車から飛び出して逃げ出した直後から同人をなだめるため、「大丈夫、大丈夫。」と言い続けた。」旨述べているのであるが、被告人の憲兵隊における陳述書中には、そのような記載はなく、たゞ被告人の司法警察員に対する昭和三三年一〇月九日附供述調書中に、「山崎がポスト・エンジニア事務所内に逃げ込もうとしたとき、「大丈夫、大丈夫」と言つたことが窺われるだけで、裁判所の山崎義一に対する尋問調書中には、かような被告人の供述、供述記載に照応する部分はないのである。(むしろ、前記被告人供述調書中には、「山崎が自動車から逃げ出した直後、拳銃に弾倉をはめてから再び拳銃をポケツトに仕舞い運転手を連れ戻そうとして彼の後を追つた」旨の記載がある。)勿論、山崎が驚愕の余り、被告人の意図を誤解し或いはその発した言葉を聞き漏らすということもあり得ないことではなかろう。しかし、判示認定のように、山崎は一旦は自動車から飛び出し逃げ出したが家族宿舎の傍で転び、被告人に近寄つて来られたので、「大丈夫、大丈夫。」と言いなから被告人と共に自動車の方(第二ゲートと反対の方向)に戻つたのであるから、仮りに被告人が一旦は本件自動車を山崎に運転させて外に出ることを諦めたとしても、この二人で自動車の方に戻るときには、被告人としては、山崎が思い直し再び被告人のため自動車を運転してくれるものと考えて同人に追随して来たものと見るのが自然である。被告人は当公判廷において「山崎が自動車を飛び出し逃げ出したので、本件自動車を運転させて基地外に出るという意思を放擲し、当初の計画に従つて、第二ゲートを出て電車で横田基地に赴く積りになつた。」旨供述しているが、判示認定のように、第二ゲートの方にも警備員が一人位いることは被告人の想像していたところであり、徒歩で第二ゲートを出るとすれば、当時の状況上怪まれることもあり得ると被告人が想像したと考えられないこともないのである。又もともと判示認定のような、被告人の当時における切迫した心境、横田基地へ赴く目的等からみて、被告人としては、最も速い、且つ安全な方法で同所に行くことを望んでいたものと考えられるのであつて、かような点からして、被告人は本件自動車の奪取直前においても、山崎に本件自動車を運転させる意思を有していたものであり、そのためにこそ、被告人の供述或いは裁判所の山崎義一に対する供述調書中に明らかなように、山崎がポスト・エンジニア事務所の方に向つて駈け出したとき、被告人がこれを追いかけその事務所の入口の処で山崎の肩や手を掴んで引張り山崎のシヤツの左脇が破れる程もみ合うというような事態が発生したものとみられるのである。

このようにみてくると、被告人の本件自動車の奪取行為は、被告人の山崎に対する、本件自動車を運転させるため拳銃を突きつけるという脅迫行為と、それによる山崎の反抗不能の状態との継続中、その機に乗じてなされたもので、相手方の反抗を抑圧する程度の被告人の右脅迫行為と、本件自動車奪取行為との間には、強盗罪を成立せしめるに足るだけの、客観的な因果関係があり、以上のような事実関係の下においては、被告人の主観においても当然その認識があつたものと認定するのが相当である。なるほど、被告人の当初における脅迫の目的は、山崎をして本件自動車を運転させることにあり、本件自動車の所持自体を自己に移すことにはなかつたのであるが、前示のような脅迫行為を手段として本件自動車を利用し、基地外に出ようとする点においては、当初から本件自動車を自ら運転、奪取する目的であつた場合と軌を一にするもので、かような事実関係の下においては、前示の強要未遂以後の行為を包括して強盗既遂の一罪が成立するものとみるべきである。たゞ、被告人に具体的な強盗の犯意を生じた時期については、前記の理由により、被告人の主観に即して、判示のように認定した次第である。

(判示第一、乃至第三の事実につき被告人の心神耗弱を認めた理由)

本件証拠に顕われている、判示第一乃至第三の被告人の各犯行前後の被告人の行動自体から判断すると、被告人には特に通常人と異なつた点は見受けられず、むしろ自己の目的を遂行するため、細心の注意を配りながら、着々これを実現していつた経過が明らかに看取され、一見精神の異常を認める余地はないようである。(特に、この見方を支持するに足る有力な証拠としては、被告人の憲兵隊における陳述書中に、本件当時被告人は是非善悪の別の認識があつたことを認める旨の供述記載がある。)しかしながら、結局において、土居、新井両鑑定書につぶさに記されているように、被告人は当時における失恋による精神的打撃、精神的身体的疲労に加えて大量に服用した判示認定の薬物の影響により、本件各犯行当時いわゆる心神耗弱の状態にあつたものと認めるのが相当である。

先ず、失恋による精神的打撃の点についていえば、判示認定のように、田中、リーチとの三角関係によつて被告人が極度に悩んだことは十分窺われるところである。この点は、それまでの被告人の田中に対する恋情が甚だ熾烈なものであつたことからみて殆ど他人の想像を絶するものがあつたと判断され、これには被告人が物心つかない頃に生母と生き別れとなり、三才のとき継母のため孤児院に入れられるというような不幸な家庭環境に育ち、且つ最初の結婚にも失敗するという愛情に恵まれない境遇にあつたことも一因をなしていると考えられる。

(土居鑑定書参照。)

当時の被告人の精神的身体的疲労の点については、判示認定のように、一〇月四日の夜はともかくとして一〇月五日の夜は既に自殺を決意して殆ど眠つておらず、土居鑑定書によれば、その日は一片のトーストと一杯のコーヒーを口にしただけであるというのであるから、その疲労度も相当なものであつたと考えてよかろう。

最後に、判示認定の被告人の服用した薬物の被告人の精神状態に及ぼした効果についてであるが、先ず、土居、新井両鑑定書共、鑑定の前提である、これらの薬物服用の時期については判示認定と殆ど同じであり、その量の点についても、R・B・Zに関する限り、土居鑑定書は、一二〇〇ミリグラム(一錠中の主薬量五〇ミリグラムとして二四錠)、新井鑑定書は、同じ主薬量として一四〇〇ミリグラム(二八錠)としており大差ないが、C・T・Mについては、土居鑑定書が四八ミリグラム(一錠中の主薬量四ミリグラムとして一二錠)とするのに対し、新井鑑定書は一二〇ミリグラム(一錠中の主薬量一二ミリグラムとして一〇錠)としており、この点は新井鑑定書の誤まりであることが鑑定人秋谷七郎の鑑定書(裁判所の命令に対するもの)により明らかにされているが、秋谷鑑定人も当公判廷で述べているように、P・B・Zの方がC・T・Mより多少効力が強いといわれているとのことであり、(この点は、新井鑑定人の供述も同様)又いずれの量であるとしても、そのC・T・Mの量自体、P・B・Zに比べればはるかに少いものであるから、この程度の誤まりが新井鑑定人の結論を左右するものとは考えられないところである。又被告人の服用した程度の本件薬物の効果については、土居証人、新井鑑定人の見解と秋谷鑑定人の見解との間にはかなりの相違があり、前二者はこれらの薬物の効果を直接実験されていないのに対し、後者の見解は、P・B・Zを約〇・五グラム自身に服用実験した結果が参考にされているが、本来本件薬物のような薬物の効果については、いわゆる個人差があり、又服用時の精神的身体的状況によつてその効果に著しい差のあることは、これらの鑑定人等、特に秋谷鑑定人の認めるところであるので、秋谷鑑定人のこれらの薬物の致死量は数グラムであり、被告人の服用した約一グラム程度の服用量を以てしてはさほどの効果はないとする所論も、どの程度土居、新井鑑定の結論を動かすに足るものであるか疑わしい。又もともと、この土居、新井鑑定は本件薬物の効果を被告人の是非善悪の判断力、その判断に従つて行為し得る能力、すなわち、刑事責任の有無、程度に関する精神的能力との関連において判定したものであり、これに対して秋谷鑑定人の鑑定は、主として薬学的見地からなされたもので、秋谷鑑定人は精神医学的見地から被告人を問診したわけではなく、現に同鑑定人自身、当公判廷における供述に際し、被告人の本件犯行当時の精神状態につき前二者の専門とする精神医学的観点に立つて意見を述べることを留保しているのである。(そして、この留保された点について、特に、第七回(昭和三四年三月四日)公判調書中に土居証人の供述として、「元来被告は薬を飲む直前から田中に逃げられた精神的シヨツク及び二日二晩全然飲食していないというようなことから既に相当の異常状態を呈していたわけのものが、薬を服用したことでその薬の持つ催眠効果のために更に精神の異常状態は拍車をかけられているのです。つまり、ねむさに対し、被告は意識的に抵抗したに違いありませんので、注意力、思考力がその分減退したことは考えられる。」旨の供述記載があることを注目すべきである。)又新井鑑定書中のこれらの薬物の中枢神経系統に及ぼす刺戟作用、抑制作用の説明にしても、同鑑定人の当公判廷における供述に鑑みるときは、それが同時的に起るものとされているとは解せられないし、この点に関する秋谷鑑定人の当公判廷における供述を以てしても、新井鑑定人の鑑定がその薬学的知識に関する部分において致命的な誤謬を犯しているものと認めるには至らない。

これを要するに、当裁判所としては、秋谷鑑定人の見解中に聴くべき点が全然ないとするわけではないが、未だ以て土居、新井両鑑定の結果を左右するものではないとして、これらの結果を綜合的に採用し、判示第一乃至第三の各事実につき、被告人の犯行当時における心神耗弱を認めた次第である。

(本件の情状)

本件の情状については、判示認定事実以下既に説示したところから概ね明らかにされたわけであるが、量刑上特に考慮した事項を列記すると、

先ず結果の重大性という見地からみて、拳銃の暴発により斉藤義雄に重傷を与えた判示第二の犯行を以て最も重しとすべきである。善良な一市民であり、被告人とは何らの関係のなかつた斉藤は、本件被害のため、身体的には勿論、物心両面に亘つて深刻な苦痛を蒙り、未だ完全に立ち直れない状態にあるのである。被告人側において被害者の慰藉につきできる限りの処置を講じたことは当裁判所もこれを認めるに吝かでないが、その過失の態様、対社会的影響等の点もあり、やはり相当の刑責を免れないものというべきである。

次に、第三の事実は、第一、第二の事実に附随して発生したものであるからとにかくとして、第一の事実の情状について考えるのに、その手段は、極めて大胆不敵なものであり、被告人の従来の素行にみられる、ある程度の悪性が露呈したものといえないことはない。しかしながら、他方において、当初からの計画性を欠く点、その意図が本件自動車の所有を永久的に保持しようとしたものではなく、基地外に脱出する手段として一時的にこれを利用しようとしたものに過ぎなかつた点、これを運転した距離も約一粁に過ぎず、結局さしたる実害の発生をみなかつた点等においてかなり酌量すべき情状があるものと認められる。

以上の諸点に、判示認定のような本件犯行の動機を併せて考慮するときは、法定刑の関係で、結局第一の罪につき定められた懲役刑によることとなることでもあるので、被告人に対しては、心神耗弱による法定減軽並びに併合加重をした後、更に酌量減軽をした第一の罪の刑の刑期範囲内の実刑を以て臨むのが相当であると考える。

(法令の適用)

被告人の判示第一の行為は刑法第二三六条第一項に、判示第二の行為は同法第二一一条後段罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項第一号に、判示第三の行為は銃砲刀剣類等所持取締法第三条第一項、第二条第一項、第三一条第一号、罰金等臨時措置法第二条第一項に、各該当するので、第二については所定刑中禁錮刑を、第三については所定刑中懲役刑を各選択し、いずれも心神耗弱者の行為であるからそれぞれ刑法第三九条第二項、第六八条第三号により法定の減軽をなし、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条第一〇条により最も重い右の法定減軽をした第一の罪の刑に法定の加重をし、情状酌量すべきものがあるので、同法第六六条、第六七条、第七一条、第六八条第三号によりこの併合罪の法定加重をした刑に酌量減軽を施した刑期範囲内で被告人を懲役二年に処し、訴訟費用の負担につき、刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 西幹殷一 藤井一雄 宮下勇)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例